< 2017.05 | 2017/06 | 2017.07 >
123456789101112131415161718192021222324252627282930      

猫を殺(と)れ (36)

Category : KILL THE CAT
テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体
身体が完全になまっていた。たった3週間近くトレーニングを怠っただけで腕も足も一回り細くなったような気がした。
プッシュアップが50回を超えたところで腹筋に切り替えた。
床に背を付いた私の周りには汗のしずくが落ちていた。美波の病院から、トミーの電話で池袋の自宅に帰ってきたのが昨日。今日の夜にはトミーの店に呼び出されている。おそらくはミッション開始と言う事だろう。
失った筋力はすぐには取り戻せないと頭では分かっていても、何かせずにはいられなかった。
腹筋50回を終えたところで、身体が悲鳴を上げた。とりあえず1セット終了と自分に言い聞かせてシャワーを浴びた。
シャワーを終えると冷蔵庫の中の冷えたエビアンを飲んだ。生き返るようだった。
実際死んでいたのかもしれない。東京に来て初めて活力が漲ってくるのを感じた。
ミッション開始のコールがあった途端、呼吸がしやすくなる自分に呆れた。このミッションが終わったらどうなってしまうのだろう?常に緊張して生きるほうが心地よい自分にも気づいた。
部屋に戻り、買ってきて一度洗いしただけの新品の下着を身に着け、どこかの有名ブランドだとミサに勧められて買った丈夫な革製のボストンバックに、下着、Tシャツを着替え3回分放り込み、ブラックデニムとシャツを2枚、あとはパスポート、現金、洗面道具を入れるとジッパーを閉めた。
持ってきた荷物より買い揃えたものの方が多かった。おそらくどこかの誰かが「掃除」してくれるよう、手配済みなのだろう。
ベッドルームに行き、クローゼットから黒のパンツスーツとロングファーコート、同じく黒のツバ広帽子を取り出した。
ミサと悪乗りして、映画「女囚サソリ」の梶芽衣子を意識して買ったものだ。
ドレッサーに買い揃えた化粧品が並んでいた。これからミッションにかかればもう必要のないものだ。
一瞬心が揺らいだ。化粧して綺麗な服を着て穏やかな人生を過ごす道も選択肢にある。
すぐにドレッサーからは目をそらした。そこに真実はないと思った。
そんな日々を心から望むときが来れば、また買い揃えればいい。ゆっくりと死んでいくのはもうたくさんだ。
パンツスーツを身に着けた。
ダイニングに向かい、コーヒーを淹れた。コーヒーマグを片手にソファーに腰かけた。リモコンを操ってTVを付けた。
もう、TVのキャスターやコメンテーターが何を言っているのかはっきりとわかるようになっていた。
ローテーブルの煙草を取り上げ一本抜き出すと、パッケージはパンツのポケットにしまった。
火をつけたオイルライターも同じように、ポケットにしまった。煙を吐き出す。
煙草は煙草の、コーヒーはきちんとコーヒーの味がするようになっていた。自分が戻ってきていることを再確認した。
ゆっくり味を確かめるようにコーヒーを愉しんだ。煙草を3本灰にした。
灰皿と空になったコーヒーマグを流し台に置いた。吸殻を処分するべきか迷ったが、どうせ「掃除人」が来るし、これだけ生活の跡を残していれば、今さら煙草の2,3本処分しても意味のないことだ。そのまま灰皿に水をためておくだけにした。
時間はまだ約束の時間よりだいぶ早かったが、もう家に居ても何もすることは何もなかった。
ファーコートを羽織ると帽子をかぶって鏡の前に立った。黒一色だが何か足りない。ふと思い出して、ドレッサーから沖縄でもらったワインレッドのルージュを取り出し、鏡に向かって紅を引いた。赤と黒のコントラストがいい色具合になったと思った。
大きめのサングラスをかけると、ボストンバックから適当に1万円札を抜き取りポケットにしまって、バックを手に持った。
携帯電話と、口紅をファーコートのポケットに押し込んで、玄関のブレーカーを落とすと部屋を出た。大切なものは何もない。戻ってくることもないだろう。鍵はかけずにそのままにした。
表通りでタクシーを拾うとサンシャイン60に向かった。
空腹だった。東京に来て以来の空腹感だった。
59階の和食屋で5千円のランチを食べた。何もかにもが舌に新鮮に感じられた。
あっというまに平らげてしまい、まだ空腹だったがこれからのミッションを考え、追加オーダーはしなかった
勘定を済ませ店を出た。せっかくなので、ここまで来たついでにと、もう一階上に足を延ばし、最上階60階の展望台へ向かった。スカイデッキに出た。風が心地よかった。。今まで中東で地平線や真っ赤に沈む砂漠の夕日は何度も見ていたが、東京は違う意味で凄かった。地平線の向こうまでビルが建っていることに圧倒された。
新宿方面のビル群もすごかったが、やはり見渡す限りの建築群の方が不気味で威圧されるような感覚を覚えた。
そしてその建築群にいるであろう人間の数を想像するだけで、胸騒ぎがしてたまらなくなり展望台を後にした。
新宿と言えば歌舞伎町のシュンの店はどうするのだろう?一度は行ってみたかった様な気もした。
もっと思い出を作りたかった気もするし、作らなくて良かったのかもしれない。
北朝鮮、中国、イラク、日本と常に危険と隣り合わせに流れに流れてきた人間だ。
ここで留まるわけにもいかないだろう。このミッションが成功するにしろ失敗するにしろ、終わればまたどこかへ彷徨っていくのだろうから。
寒空に雲がかかり、幾分天気は怪しくなってきていた。
だがサンシャインシティーに背を向け池袋東口へと歩き出した足どりは軽かった。


そして物語は冒頭へと戻る





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ

web拍手 by FC2

Response: コメント: 0  トラックバック: 0  Edit 01 23, 2012 Back to top
ブログパーツ

Comment

非公開コメント(非公開にした場合、匿名性を尊重しレスしない事があります)

Plofile

灰音



name:灰音(ハイネ)

Entry & comment
TOP 10 Ranking
Updated Information
あくまでも、私個人の好んで購読するブログさんの更新情報で、いわゆるリンクとは違いますので、ご了承ください。またクリック先でのトラブルについては一切当サイトは関知いたしませんので、自己解決をしてください
Category
QR
QR